「夜空に泳ぐチョコレートグラミー」感想文。本当の愛について。
こんにちは。少しまだ暑い夕方に、テラスでパソコンを広げて書いております。
本日は、夜空に泳ぐチョコレートグラミーの感想文を書いていきます。
この本は、短編小説なのでまず1つ目の物語「カメルーンの青い魚」についての感想を述べていきます。
帰って来ない。いや、いつ帰ってくるのかわからない男性を待つのは本当に辛いこと。
第三者から見たら、いつ帰ってくるのかわからない男性を待つなんて、無駄なことだし、幸せからかけ離れたことだし、「正しくない」こと。
だから、いつ帰ってくるのかわからない男性を待つ女性は、哀しげだし、辛そうだし、不幸そうに見えて当然。
でも、カメルーンの青い魚では、いつ帰ってくるのかわからない男性を待つ状況が不思議と哀しげではない。それは、彼との子供がいるからだろうか、彼が自分を思っていることを知っているからだろうか、彼を信じているからだろうか、彼が頑張っていることを知っているからだろうか。
でも信じてたって、愛されていたって、帰って来ない彼を恨んでしまう瞬間はあるはず。男女の関係になっていない友達ならば素直に待てるかもしれないけれど。
恨むことなく待っている。
愛するとは何だろう、とこれまで沢山考えてきたけれど、
恨むことなく、帰りを信じて待つこと
なのかもしれない。
帰って来ない恋人、旦那に対して怒ったり、恨んだりするのは、
愛しているからだと思うかもしれないが、
愛されていないと思うからだろう。
そう考えると、相手が自分をどう思っていたとしても、待つことができれば、
または 愛されていなくても、待つことができれば、
それが愛するということなのかもしれない。
でも、私生活において愛されていなくても、恨むことなく待つことができる人がいたらちょっと心配になる。怒っていいよ、と言いたくなる。
または、哀しいでしょ?大丈夫?と言いたくなる。
カメルーンの青い魚では、どちらでもないのだ。怒ってもいないし、漂う悲壮感も薄い。
恨むことなく、帰りを信じて待つこと。そして、待っている間哀しくないこと。
それが本当に誰かを愛するということなのかもしれない。
私は、きっと誰かを愛することなんてできない。
自分が大切だから。
でも、そんな風に愛することができたらそれは本当の幸せなのかもしれない。
今、私が待っている相手にここで言わせてもらいたい。
私は、怒ってる、とても哀しい。早く帰ってきて、と。
私の愛は本物ではないのかもしれない。